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更新日:2014年3月28日

等伯ゆかりの人・もの・寺院

長谷川等伯は、室町時代の末(1539年~1610年)、能登国七尾に生まれ、二〇歳代には絵仏師として能登で活躍、その頃にはすでに京都を往来し、三〇歳代中頃正式に京都へ移住したとみられる。上洛後は長谷川一派を率い、画壇の実力者・狩野派に対抗して豊臣秀吉の仕事もこなし、大寺院の障壁画なども描いて活躍した。「楓図」・「松林図屏風」(ともに国宝)などの作品を残した。

長谷川等伯ロゴ

「青雲」

信春をして離郷せしめたものははたして何であろうか。

妻子を伴いて上洛の決断は尋常な業ではない筈。生活恐慌を凌駕し、絵画に帰一する執念が情熱となり開華したものであろう。そんなことを基盤としてポーズが立案されました。(田中太郎 1990年3月24日制作)

安部龍太郎

1955年福岡県生まれ。久留米高専卒。90年『血の日本史』でデビュー。

2005年『天馬、駆ける』で中山義秀文学賞。

13年『等伯』で直木賞。

「松林図屏風」を描く境地に至った等伯の人生を、自らの作家人生とも重ねた。クライマックスに登場する「松林図屏風」を「壮大な宇宙に連なる入り口」と解釈、大いなる芸術に殉じる一生を劇的に描いた。

本延寺木造日蓮聖人坐像

日親上人の木造仏と真筆の曼荼羅が祀られている当寺は、画聖長谷川等伯の生家・奥村家の菩提寺である。本堂奥に安置される木造日蓮聖人坐像は、永禄7(1564)年に26歳の等伯が彩色寄進している。長谷川派である等誉筆の涅槃図を所蔵する。

長壽寺

画聖等伯の養家・長谷川家の菩提寺。等伯の養祖父とされる無分筆の涅槃図を所蔵する。境内には七尾箔の元祖山崎屋の石堂墓碑と一層大きな八百屋お七のお題目供養塔が目を引く。梵鐘は初代宮崎寒雉の作である。

お問い合わせ

所属課室:教育委員会文化課

石川県七尾市袖ケ江町イ部25番地

電話番号:0767-53-8437

ファクス番号:0767-52-5194

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